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| 31代用明天皇2年(537)聖徳太子は、仏教の昂揚を祈願され、勅命を奉じて堂塔、伽藍を造立された寺院の1ヶ寺が比曽寺である。 安置するご本尊は、仏教伝来の翌年、欽明天皇14年5月(553)ちぬの海に浮かぶ樟木による一木作りの、いわゆる放光樟像である。 寺勢を誇った奈良時代には、中国の学僧(神叡・道叡)も当山に止住したと元享釈書巻16に記されており、弘法太子(空海)、伝教大師(最澄)ともに比叡山において求聞持の法を習得されたと古文書に記されている。 平安時代には、56代清和上皇、59代宇多上皇、更に御堂関白、藤原道長も参詣したことも明らかである。 南北朝時代には、96代御醍醐天皇も小野文観を先達として行幸され御自ら栗天八一山、栗天奉寺の山号、寺号を賜ったことが古文書に残っている。 しかしながら、栄枯盛衰は世の常、無住時代も続き加えて山間僻地とあって、かつての寺院は荒廃に任せたが、江戸時代に至ってこの地方を統括していた竜門城の城主、中之坊兵庫守の配慮のもとに、当時の禅僧、河内の国、大道寺より雲門即道禅師を迎えて、伽藍の整備縮小を図りそれ以後、現在の霊鷲山 世尊寺と改まって今日に及んでいる。 即ち宝暦元年である。因みに、東塔は、現在滋賀大津三井寺に国の重文として残り、文禄3年秀吉により伏見城へ、更に、慶長6年(1601)家康によって三井寺に、移転された。尚、西塔はこの地方の相次ぐ戦乱によって焼失したと、今昔物語に記されている。 |
| 山門前の石段を上がると、額縁の絵のように桜花満開
世尊寺 奈良県吉野郡大淀町比曽 電話07463−2−5976 アクセス 近鉄吉野線六田駅下車 北へ徒歩25分 |
| 中門の前に西塔跡と東塔跡があります。寺伝によると、聖徳太子が御父三十一代用明天皇のために建立され、その後鎌倉時代に改築されたことが礎石の一部によってしることができる。 やがて文禄3年(1497)豊臣秀吉によって伏見城に移された。更に4年後、慶長6年(1601)徳川家康によって大津の三井寺に移築され、現在国の重要文化財として残っている。なお、西塔跡は、三十三代推古天皇が夫の帝三十代敏達天皇のために建立されたが、相次ぐ戦乱に災いされ、惜しくも焼失せりと、今昔物語に記されている。 | |
| 三井寺(大津市)の三重塔・重要文化財 室町時代・三間三重塔婆 本瓦葺 慶長二年(1597)、豊臣秀吉によって伏見城に移築された大和の比蘇寺の塔を慶長五年に徳川家康が三井寺に寄進したものです。 一層目の須弥壇には、木造・釈迦三尊像が安置されています。軒深く、三重の釣合よく、相輪の水煙などに中世仏塔の風格をよく伝えています。 ※ 三井寺は天台寺門宗の総本山で正式名称を長等山園城寺といいます。琵琶湖南西にあり、湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られています。 (写真は三井寺HPより) |
| 左の写真は東塔跡の礎石です。その向こうは中門です。 スイセンの手前に菩提樹が植えられています。 ※ 菩提樹については下記をご参照ください。 |
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| 左の写真は西塔跡の礎石です。西塔は、第33代推古天皇が夫の第30代敏達天皇のために建立されたが、相次ぐ戦乱に災いされ、惜しくも焼失せりと、今昔物語に記されている。 |
| ● 中門 中門の左には大疑堂跡、右には鐘楼堂がある。中門をくぐると広い中庭が金堂跡で、正面の本堂の建っている所が「講堂」の跡です。左手に太子堂、右手に庫院があります。これらの遺構により、当時の伽藍配置が薬師寺式と考えられています。 |
| ※ 上のスケッチ3点は、スケッチ「山里・山寺の風景」より再掲 | |
| ● 太子堂 奈良県指定有形文化財(建造物) 聖徳太子をご本尊として建立された堂で、右手に柄香炉を持った「太子十六歳の孝養像」が安置されている。角屋の鬼瓦に享保7年(1722)、同9年(1724)の瓦銘が見え、内部の虹梁絵様、蟇股等の細部様式とも、考え併せて18世紀前期頃に建てられたと考えられる。仏壇部を角屋として、突き出させる形式は、県内でもあまり例を見ない物で、興味深い建築といえる。 平成元年3月10日、指定を受ける。 |
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● 御本尊 阿弥陀如来座像 日本書紀巻16によると「河内の国、茅渟(ちぬの)海中に浮かぶ樟木を見る。欽明天皇は画工に命じて仏像二躯を作らしめ、今、吉野寺に祀る放光樟象なり」と記されている。 それがすなわち、阿弥陀如来座像で、明治24年7月23日付けをもって国の重美に指定されて、今日に及んでいる。 ちなみに当山に五名あり、比蘇寺、吉野寺、現光寺、栗天奉じ寺、世尊寺と、歴史を繰り返している。 |
| ● 丈六十一面観音像 平安中期の作と伝えられ、丈六の立像である。頭部は一見して鎌倉期の後補とわかるが、体部は、古様の切れ味のいい刀のさえを見せる一木彫刻である。 毎年、正月には大般若経(江戸時代)を転読して、世界平和と人類の幸福を祈願している。明治24年7月23日、国の重美に指定されている。 ※ この十一面観音像は、国立奈良博物館主催の古密教特別展に展示のため7月25日より2ヶ月間、お留守される予定です。 なお、下の2枚の写真は住職のご厚意により撮影させていただきました。合掌 |
| ● 聖徳太子十六歳孝養像 高さ1メートル、寄木造、金泥彩色の十六歳孝養像で、柄香炉を持つ。太子十六歳の折りに、天皇がご病気になられ、日毎傍らに侍して看病、食事を供されたうえ香炉をささげて平癒を祈られた故事によるものである。 頭髪を「みずら」に結び、体に袍を着た上に袈裟をかけ沓をはき、右手を前に左手をその後ろに添えて柄香炉を持っておられる。 明治24年7月23日、国の重工に指定されている。 |
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| 上の写真は、本堂の裏にある俳聖松尾芭蕉の句碑を復刻したものです。これは先代の住職が畑を耕しているとき、邪魔になった石を調べたところ芭蕉の句碑であったことが分かったというもので、本来の句碑は全く肉眼では読めませんが、桜の木の下に安置されています。 | |
| 世にさかる 花にも念佛 まうしけり ばせう | |
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| 「ヒガンバナ」とは、実にマトをえたネーミングだと感心します。秋の彼岸近く、赤く燃えるようなヒガンバナは実に印象的です。 花言葉は「悲しい思い出」とのことで、別名も「マンジュシャゲ」のほか、「ユウレイバナ」とか「シビトバナ」、「ハカバナ」、「カジバナ」、「キツネノカミソリ」など、全国各地の地方名をあわせれば1000種類ほどあるそうです。 |
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